サイクリング編
1 決断
2 ヒッチハイクの極意
3 ポルシェは快適
4 作戦
5 天敵
6 タスマニアへ行こう
7 時間にルーズ
8 タスマニア上陸
9 予定変更
10 車が来ない!
11 別れる
12 飛ぶ
13 Hobart
14 その声は
15 ライバル登場
16 またね
17 炎天下の出来事
18 タスマニア最後の夜
19 いゃっほーっ
20 シドニーへ帰還
21 北へ
22 山崎日本へ帰る
23 グリーンアイランド
24 ケアンズの夜は更けて
25 イナゴ大発生
26 エヤーズロック
27 アリスの風
28
ツアー編

その3  ポルシェは快適 


Mundaringで自転車を売っ払った後、ヒッチハイクでとりあえず来た道を戻ることにする。
今後の予定としてはシドニーに戻り、ブリスベーンを目指す。
そして、是非行ってみたいのが地球のヘソと呼ばれ、当時でもテレビや何かで見たこともあるエヤーズロックだ。
シドニー方面に向かう車だったら何でもいいので、とりあえず信号待ちしている車に片っ端から声を掛けて回る。
流石にシドニーへ向かう車なんかありゃしない・・・・。
車で走っても4800キロは1日1000キロ走っても5日は掛かる距離だ。
町の中では短距離と長距離の区別はナンバープレートだけが頼りであるが、パースのナンバーを付けていてもアデレードへ出かける車が可能性としてはある訳で、こいつはナンバーを見ても判断できない。
これを見分けるには町外れでそっち方面に向かう車を捕まえるのが一番だ。
とにかくこの町外れまで誰かに乗っけて貰おうと思い、信号待ちの車に交渉する。
わたしが日本人だと言うのを武器にして交渉に成功するのにはそんなに時間は掛からなかった。
当時では日本人の観光客なんてそんなにいなかったのもあるが、やはりオージーが親切であるというのが一番の要因だろうと思う。
町外れまでわざわざ運んでくれたおじさんに礼をいい、再び見晴らしのいい直線道路の道端にズタ袋を置き、その上に腰を下ろす。
自転車を売ったお金は日本製の携帯用カセットデッキと中古のギターに姿を変えていた。
当時はまだウォークマンやIpotなどという小さいのが無かったので、ホータブルステレオである。
流れてくるラジオ音楽に心を和ませながら、時折通りかかる車に手を挙げ、運転手の顔を覗き込む。
運転手はこちらに目をやりながら、表情で話をする。
「駄目だよ、この近くに住んでいるから乗せられない」とか、「悪いな、乗せてあげたいけど場所が無い」とかその表情や車の状態を見れば声が聞こえるわけでもないのに判ってくる。
まあ、慌てる旅でもないから気長に待つことにしよう。
と、しばらくするうちにポルシェが止まってくれた。
「乗っていくか?」
イェーイ!ヒッチハイクを始めたばっかりでこんなに凄い車に乗れるとは思ってもみなかったので最高に幸せ。
彼はCooigerdieを経てKalgoorieの近くまで行くという。
「やった!」かなり距離が伸びる。
Cooigerdieまで乗せてもらえるということで車に乗り込んだ。
助手席に座って、うーむこれが世界に誇るスポーツカーなのかと実感。
彼は医者のようだ。カーステレオで盛んに難しい講義のようなのを繰り返し聞いているので、ちょっと退屈。
日本のことや、僕の旅行の話を聞いてくれ・・・・・・・。
聞いてくれと言ってもそんなに詳しく話せる自信は無いけどさ・・・・・・・。
ふとスピードメーターに目を移すと、時速計が120マイルとなっている。
ちょっと待て・・・・・120マイルというとキロに直すと180キロじゃないか・・・・・。
車の揺れや振動は普通の車で時速100キロといった感じなのだが、確かに外の風景の流れ方が少しばかり早すぎる・・・・・・・・。
我々が自転車で5日掛かった距離をわずか3時間足らずで走りきった。
うーむ・・・・・・・自転車の時代は終わったな・・・・・・・なんて思いがふとよぎる。
いやいや、違うよな。自転車で5日かかったからこそ旅は充実して楽しいんだよな。
テープレコーダーの早回しで歌を聞いているようなもので、時間だけ省略しても本物の感動は伝わらないだろうから。
でも、自転車はノーマル再生よりちと遅いかも・・・・・・・・。
ポルシェのドクターに別れを告げ、Cooigerdieのユースホステルのドアを開ける。
「また来たよ」
当然ペアレンツのおばさんは快く迎えてくれた。


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