サイクリング編
1 旅立ちのとき
2 船旅
3 旅のきっかけ
4 タムシチンキの効用
5 香港事件
6 うだるシンガポール
7 シドニー上陸
8 サイクリング初日
9 お世話になります
10 事故と犬の大群
11 Goulburnの新聞記者
12 簡潔キャンベラ
13 yassへ
14 Hume Hwy
15 Albury ホッキング
16 雨のSeymour
17 Melbourneホッキング
18 Melbourneあれこれ
19 Ballarat
20 Ballaratその2
21 Ararat
22 HallsGap_1
23 HallsGap_2
24 HORSHAM
25 Nhill
26 South Australia
27 Keithを超えて
28 偉大なるマリーブリッジ
29 アルデゲートでタヒチアン
30 アデレードまで一気
31 アデレードでバスガイド
32 Eyre Highway
33 ビールの看板
34 苛立つ
35 IronKnobで切れる
36 Kimba近辺
37 カンガルー
38 Ceduna
39 クリスマスイヴ
40 カニを釣る!?
41 Nullarbor Plain
42 砂漠の生き物l
43 Norseman
44 Cooigerdie
45 Kalgoorie
46 記憶が・・・・
47 Parthまでもう少し
48 この丘を越えれば
49 パースは遠く
50 パースの休日
ラウンド編

その3  旅のきっかけ



高校生のときサイクリング同好会というのを有志たちと作ったのが、この物語のきっかけですが、まさかそのときの夢が現実になるとは・・・。
船に乗り込んでからも心ここにあらずの状態で自分の体をどこにおいていいのかうろうろするばかり。
どうしてオーストラリアを選んだのか?
ズバリ!四国に形が似ているから・・・・・。
高校生の時代に四国をサイクリングしたのだが、そのときの四国の人たちの情がやたら温かくてきっとサイズが大きいだけのオーストラリアの人たちも温情厚く僕たちを迎えてくれるだろうというまことにいい加減な動機です。

元々は山崎と同好会の顧問の先生が予定していた計画だが、この顧問の先生がかなりの格式を持った家柄の長男ということもあって親の猛烈な反対に会い、計画が頓挫したときに僕に白羽の矢が立った。
山崎本人は高校を出た後も旅行会社という渡航を意識して就職を選んだということもあって、相棒がいなくなったというだけでは諦め切れなかったようだ。でも、一人では行けない性格でもあった・・・・。

わたしも高校を卒業した後、いったんはお金を貯める意味で就職したのですが、「オーストラリアへ行くから辞める」と辞表を出したときは直属の上司が驚いてしまって私の父にまで辞めないように実家へ説得に訪れたほどで、当時の日本はまさに「人材」というのを大切に考えていたかという裏づけでもあります。
今の企業だと「よく言ってくれた、ありがとう」なんて風に扱われるかもしれませんね。

この会社を辞めてから半年は身体作りとビザやチケット収得の為に建築会社でアルバイトをやり、卒業後3年で約100万円を溜め込んでこの旅に備えた。
当時は大学卒の初任給が16800円程度でしたので、かなりの金額を溜め込んだことになります。
当時宿直という制度が私の行ってた会社にあって、これを代わってあげると1000円程度のボーナスが入ります。
普通二人一組で宿直をやりますが、二人分代わってあげると2000円になります・・・。
祝祭日の前は特別に倍額で、連休や正月などは一律3000円〜5000円ということになり、単純計算しても26日×2000円+4日×4000円で、普通の月で66000円。一月や八月なんかは8万円程度の所得があり、給料の手取り(12〜3000円)と比べると圧倒的に宿直で得たアルバイトのほうが実入りが良かったわけです。
その代わり一ヶ月の間に家に帰ることは殆ど無く、女の子とデートすることも殆ど無く、朝会社で目が覚めて、夜会社で寝るということの繰り返し。
ひどい日には夜中に会社で気分が悪くなって朝から「早退届け」を出して通勤ラッシュの中を家へ帰るなんて経験もあります・・・・・・。

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